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日経平均19,642.7
TOPIX1,591.0
騰落レシオ136.9%
RSI75.7%
乖離率3.33%
売買指数158



林野の実家は、四代続いた清水焼の販売店であった。


清水焼は、東大寺の大仏の開眼に功績のあった行基が、詔勅により現在の五条坂の近辺に窯元を集めたことが発端だという話があるくらいに歴史が古い。


以降、都が京に移ったことにより重用され、高級陶器として貴族たちに広まった。


江戸時代になると、名工野々村仁清や尾形光琳の弟
乾山、青木木米が現れ、清水焼の地位を不動のものにした。


明治になると主要な輸出品として人気を集め、高級陶器として取引された。


当然、その販売をしていた林野の実家は、彼が小学生の頃までは羽振りが良かった訳だが、バブル崩壊以降は急速に高級品が売れなくなり、売り上げが下がった。


林野の父親も国内販売から海外販売等色々と手を尽くしたのだが、世の中の流れに抗することはできず、林野が社会人になった頃には負債が大きく膨らんでいた。




丁度、立命館大学を出て証券会社に就職していた林野が、リーマンショックで右往左往していた頃、父親が過労で倒れた。


このままでは倒産になるというとで、一人息子だった林野は思い切って証券会社を辞め、家業を継いだ。


リーマンショックで希望退職を募集していたのを、コレ幸いにと思ってのことだった。


しかし、この選択は間違えであったのは直ぐに分かった。


家業は、既に継げる状態ではなかったのである。


「破産せずにどう廃業するか!?」が、会社を辞めた息子に与えられた指名だった。


どうしたら良いかわからない林野は、父の古くからの知り合いや取引先を回り、色々と有形無形の援助を受けることができた。


その甲斐あってか、店舗や実家を売り払い、老いた父母はアパートに住まなければならなくなったが、破産することなく廃業することができ、幾ばくかの資金を父母に残すことが出来た。


そして林野自身は、父の古くからの友人が経営するタクシー会社に就職することができた。


「やはり最後は人の繋がりだ」と感じた林野であった。

 



タクシードライバーは気楽で、林野の性に合っていた。


気分が乗らなければ、人通りの少ない場所に路駐して休んでいれば良いのである。

 



こうしていつものように路駐してスマホでを見ていた。


と言うのも、林野が仕込んでいた銘柄が大きく上昇したとメールが着たからである。




「らっきぃ~!!」




こういうときは、売る、売らないに関わらず、板が見たくなるものである。





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①勝負は、拙速を好む

 

②固まってはならない

 

1037分を目指せ

 

④小損は大損の仇なり

 

⑤勝てると信ずるべし</font></font>